学長ブログ

人とAI

はじめに:驚きの一面記事から

 新緑が目に鮮やかな季節となりました。学生の皆様におかれましては、日々の講義や社会貢献活動に生き生きと取り組まれていることと存じます。
 さて、先日、私は新聞を読んでいて思わず目を留めました。5月17日の神戸新聞に掲載された調査結果によると、「自分の気持ちを伝えられる主な相手」として、対話型AIを挙げた人が64.9%にのぼり、なんと「親友」を上回ったというのです。さらに5月19日の同紙には、高齢女性の47%が「対人トラブルを相談するとき、人間よりもAIを選ぶ」という驚きのデータも紹介されていました。
 かつては映画の中の夢物語だった「人工知能(AI)」が、いまや私たちの最も身近な「話し相手」や「カウンセラー」として、暮らしの中に深く溶け込みつつある現実を突きつけられた思いがいたします。

なぜ私たちはAIに心を開くのか

 なぜ、これほど多くの人が、血の通わない機械であるAIを相談相手に選ぶのでしょうか。その理由は、AIならではの「気楽さ」にあると考えられます。
  ・絶対に怒らない・否定しない: AIはどれほど愚痴を言っても、決して感情的にならず、常に穏やかに受け止めてくれます。
  ・いつでも、いくらでも話せる: 深夜でも早朝でも、こちらの都合に合わせて、疲れることなく何時間でも付き合ってくれます。
  ・秘密が守られる: 人間相手だと「他人に言い触らされるのではないか」「軽蔑されるのではないか」という不安がよぎりますが、AIにはその心配がありません。
 特にシニア世代にとって、家族や友人に心配をかけたくないという「優しい気遣い」や、年齢とともに周囲に気兼ねしてしまう孤立感が、AIという「完璧に聞き上手な存在」を求める背景にあるのかもしれません。

AIとの「上手な付き合い方」

 しかし、ここで私たちは一歩立ち止まって、これからのAIとの付き合い方を考える必要があります。AIは非常に便利な道具ですが、あくまでも「道具」です。
 AIが返してくれる言葉は、過去の膨大なデータから確率的に「もっともらしい文章」をつなぎ合わせたものです。そこには本物の感情や、あなたを心から案じる「心」は存在しません。
 AIを「24時間いつでも愚痴を受け止めてくれる、便利な壁打ち相手」として使うのは大いに結構だと思います。感情の整理や、ちょっとしたアイデア出しにはこれ以上ない相棒です。しかし、AIの言葉に過度に依存し、人間の温もりを忘れてしまうことには一抹の危うさを感じます。

「人と人」にしかできないこと

 AIがどれだけ賢くなっても、決して真似できない人間の領域があります。それは「共に喜び、共に痛みを感じる」という、割り切れない生身の共感です。
 私たちは、相手の表情の曇りや、声のトーンの微細な変化から「言葉にできない思い」を察します。また、時にはあえて厳しい正論を言ってくれる友人の言葉に、傷つきながらも本当の愛を感じることがあります。このような「泥臭く、不完全で、しかし愛おしい人間関係」こそが、私たちの人生を豊かに彩る源泉ではないでしょうか。
 我が神戸市シルバーカレッジは、「学びあい、支えあう」生涯学習の場であります。ここで交わされる学生の皆様同士の挨拶、講義の合間の何気ない雑談、地域の課題に共に頭を悩ませる時間。これらはすべて、AIには決して代替できない「人間ならではの価値ある営み」そのものです。

おわりに:AIを味方に、より豊かな人間社会へ

 これからの時代、AIと人との関係は「敵対」でも「完全な依存」でもなく、「賢い道具として使いこなしながら、人間の絆をより深めていく」という関係になっていくべきだと私は確信しています。
 AIという便利な相談相手を日常のアクセントとして片手に携えつつ、もう片方の手は、目の前にいる大切な仲間の手をしっかりと握り返す。そんな柔軟で豊かな智慧こそが、私たちシニア世代に求められている付き合い方ではないでしょうか。
 カレッジのキャンパスで、皆様が互いに声を掛け合い、笑顔を交わす姿を見るたびに、私は人間の持つ底知れぬ温かさと可能性を感じています。AI時代だからこそ、この「人と人とのつながり」の価値を、皆様と共にいっそう大切に育んでまいりたいと思います。