第39代米国大統領ジミー・カーター

第39代米国大統領ジミー・カーター

神戸市シルバーカレッジ学長 前田 潔

 ジミー・カーター元米国大統領が昨年暮れも押し迫った12月29日に亡くなった。1924年10月の生まれでちょうど100歳、センテナリアンであった。第39代大統領(在任:1977年1月- 1981年1月)であり、2002年12月にノーベル平和賞を受賞している。

 彼は1976年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬し、ウォーターゲート事件により疲弊した政治の刷新を求めるアメリカ国民にクリーンなイメージと満面の笑みでアピールし、黒人と労働者の支持を得て勝利した。 大統領に就任後は米ソの冷戦の最中に「人権外交」を標榜し、中東において長年対立していたエジプトとイスラエルの間の和平協定を締結させるなど、中東における平和外交を推進した。またパナマ運河のパナマへの返還などを実現させた。 

 しかしながら、イラン革命やその後のイランアメリカ大使館人質事件を防げず、人質救出作戦にも失敗したこと、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を「意図的」に招くなどしたとされ、保守派から「弱腰外交の推進者」と言われることになり、国民の支持を失い、1980年の大統領選挙ではロナルド・レーガンに敗北し、1期4年で政権の座を去っている。再選されない大統領は多くなく、大統領失格と評価されてきた。

 なお、1981年に大統領職を退任してからは非政府・非営利組織カーターセンターを設立し、世界平和・疫病撲滅・希望構築などの積極的な外交活動を行った。1994年北朝鮮の核開発疑惑により北朝鮮との間で一触即発の危機に陥った折、北朝鮮を訪問して金日成主席と会談した。北朝鮮の核開発凍結と査察受け入れで合意し、同年の米朝枠組み合意とつながっていった。 2002年にはキューバを訪れ、フィデル・カストロと会談。キューバ革命とその後の関係悪化以来、初めてキューバを訪問した米国合衆国大統領経験者となり、その後の米国とキューバの国交回復につなげた。 その他にも彼はヴェトナム戦争の徴兵忌避者に恩赦を与え、黒人と白人の生活空間を分離する政策を否定し、アフリカ系アメリカ人の公職任命を積極的に進めた。女性の権利推進にも取り組み、政権幹部に複数の女性を任命した。アメリカ大統領として初めて気候変動問題を重視し、ホワイトハウスの暖房温度を下げて自分はジーンズやセーターを着て過ごした。ホワイトハウスの屋根には太陽光発電パネルを設置した。アラスカ州の何百万エーカーもの原野を開発から保護するための環境保護法も成立させた。

 彼は「数十年間にわたり国際紛争の平和的解決への努力を続け、民主主義と人権を拡大させたとともに、経済・社会開発にも尽力した」ことを評価され、2002年にノーベル平和賞を受賞している。このように一度は大統領失格とされた彼は再評価され、世界の平和と人権に多大な貢献した偉大な人物とされている。

 彼は大統領当時の1979年、以前は保健教育福祉省によって行われていた教育行政を教育省として分離独立させた。またパナマ運河は米国が20世紀初頭に建設し、運河地域の主権は条約により永久に米国に譲渡されていた。パナマ政府は20年以上にわたってこの返還を要求していた。先に述べたように彼はパナマ政府の要求を受け入れて1977年に新パナマ運河条約を締結し、最終的には1999年にその支配権を完全にパナマに譲渡している。いま米国では現大統領による旋風が巻き起こっているが、現大統領は教育省を廃止する大統領令に署名している。また現大統領は、パナマがパナマ運河を利用するアメリカの船舶に、「ばかげていて非常に不公平な」料金を課していると発言し、「ぼったくり」が止まらなければ、運河をアメリカに返還するよう要求すると主張している。現大統領はカーター元大統領の施策を次々と覆そうとしているかに見える。それがかえって元大統領の偉大さを浮き立たせているように思われる。カーター氏は2024年の大統領選で、民主党候補のカマラ・ハリス副大統領に期日前投票で一票を入れて間もなく亡くなっている。